あたまのすみっこ

本と心理とその他あれこれ。

【考える葦】パスカルの哲学が現代人にめちゃめちゃ刺さる件。思想をざっくり解説!

 

 

人間は考える葦である―― あまりにも有名な哲学の名言。
『パンセ』に記された思索の数々にわれわれ現代人は圧倒されるばかり……というわけでもなかった!よく読んだら、今を生きる人にこそ必要な思想が凝縮されているんです。

生涯

ブレーズ・パスカルは17世紀フランスに生きた知識人。当時一大潮流だったデカルトの合理主義に早くから鋭い批判を呈していた、いわば直観の人。
まだ10歳にもならない頃、三角形の内角の和を独力で証明し、以後数学や物理学の分野でめきめきと才能を伸ばしていきます。まさに早熟の天才、神童と呼ばれるにふさわしかったとか。
一家そろってジャンセニスムキリスト教の一派、当時にしても異端)に傾倒するなど神学への造詣を深めるなか、最愛の父の死去、さらに宗教的な回心体験を経て護教的な哲学へと思索を開いていったのです。39歳の若さでこの世を去るまで様々な思想をメモに書き残し、それが死後まとめられ『パンセ』として出版されました。

 

主要な思想は?

暇だと病む!

筆者が最も影響をうけたのがこちら、「人間は(中略)あらゆる職業に自然に向いている。向かないのは部屋の中にじっとしていることだけ。」彼が恐れたのはズバリ、倦怠。やることがないと人は、自分というものについて考えはじめます。これこそが不幸の源。パスカル曰く、気晴らしがなければ人は幸福になれないのです。ここで言う気晴らしとは、自分の状態、いずれ死すという悲惨な運命から気を逸らさせてくれるもの。娯楽だけでなく、労働も含まれます。死の危険をおかして冒険に出るのだって、逆説的ですが死から目を逸らすための気晴らしなのです。
人間は一度にひとつのことしか考えられませんから、気を紛らしていれば少なくとも本当に不幸にはなりえないのです。

誰だって認められたい!

「虚栄はかくも深く人間の心に錨をおろしている」とあるように、人はみな他者からの承認や尊敬なしに生きてはいけないとパスカルは言います。哲学者だってそれは同じ。褒められたくて書くのです。それを批判する人も、指摘の鋭さを褒められたい。それを読む人も…といった具合に。「これを書いている私だって、おそらくその欲望を持ち、これを読む人たちも、おそらく…」自省を忘れないところも彼らしいですね。
また、「人が知ろうとするのは、それを話すためでしかない」とも書かれています。個人の内部だけでは完結しきれない、ひじょうに人間らしい姿を描き出していると言えるでしょう。

両極端のどちらにも行きつけない…

人間は極大と無の中間者であると彼は言います。
自分の在る位置を見失ってしまいそうなほどに広大な宇宙、一匹のだにの細い脚の、その血管。どちらを考えても、気が遠くなるほど。無限と虚無のあいだに漂っているのがわれわれであり、そのどちらの岸へもたどりつけないのです。「広漠たる中間に漕ぎいでて」いる状態として、映像のようなイメージが浮かび上がってきます。 
パスカルの文章はかなり詩的であり、お堅い哲学書と思って開くとその美しさに驚くことも。

人間は考える葦である!

冒頭にも紹介した名言の意味、正しく知っていますか?
人間はひとくきの葦にすぎない。葦とは自然のなかで最も弱いものであり、宇宙は水をたった一滴垂らすだけでこれを殺すことができる。「だが、それは考える葦である」。たとえ宇宙に押しつぶされても、それは宇宙より尊い。なぜなら、「自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。」
思考することによって遥か大きい宇宙に拮抗する特異な存在が人間だと彼は定義します。
「だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。」人間は悲惨だけれど、それを思惟できる点において偉大なのです。

 

どの『パンセ』を読めばいいの?

ここで、この書をとりまくちょっとした事情をお話しします。
はじめに書いたとおり、これはパスカルが遺したメモを死後にまとめた本になります。よって、まとめた人の意図が完全には排除しきれないのが実情。
パスカルはそもそもキリスト教擁護論を構想していたようで、その遺志をできるかぎり忠実に再現しようとしたのが初版ポール・ロワヤル版です(岩波文庫がこの系統を採用)。また、後世の学者が護教論仕立てをあきらめる代わりに読みやすく体系立てたものブランシュヴィック版(中公クラシックスがこれ)。メモの並べ方にコンセプトが出るというわけです。この他にも複数のバージョンが存在します。
筆者としては、よほど専門的に究めるのでなければブランシュヴィック版をおすすめします。テーマごとに分類・整理されており、かなり読みやすいのが魅力。そのために恣意的だとの批判もあるようですが、とっつきやすさはやはり捨てがたいと思います。

まとめ

時代や地域を超えて、今なお高い価値を持つパスカルの思想。透徹した視点と繊細な捉え方には表しがたい魅力があります。ここで紹介した以外にも、賭けの理論クレオパトラの鼻」といった有名な説がたくさんあり、注目ポイントは数知れず。
いろいろな読み方ができるのも良いところです。自分に当てはめて考えるも良し、対立するデカルトと比較するも良し(デカルト方法序説岩波文庫版はわずか100ページ程度。意外に易しい)、ここからどんどん思索が開けてきます。「今日の名言」的に毎日少しずつ読み進めるのもオススメ。
現代にも生きる深い知恵に、ぜひ触れてみてはいかがでしょうか。

 

※記事中のかぎ括弧太字は、パスカル『パンセI』中公クラシックス 前田陽一・由木康訳 より引用しました。

読書観、個人的な好み。

自室の本棚を眺めて気づくのは、本の趣味、偏りすぎじゃない?ということ。
読んだ本にはその人の趣味嗜好が表れる気がして、他人の本棚をのぞくときは何となく後ろめたい感じがします。しません?

 

筆者の好みはズバリ、現実味のないもの。さすがに支離滅裂なものは好みませんが、設定がぶっ飛んでる(がしっかり作りこまれている)のはかなり趣味に合います。日常と関連の薄いマニアックな知識がもりもり詰め込まれた感じのも好きです。

 

それで、持論。何のために読書するかっていうと、もちろん好きだからなんですが、一つには現実逃避の目的もあると思っていて。逃げ込んだ先も現実だったら楽しくないじゃないか!ということで、せっかく本の世界に入るのならリアルじゃ味わえない世界線・人生が描かれたものを選ぶんです。というか、無意識にそうする傾向がある。実際に隣のアパートで起こっていそうな題材のはあまり手に取りません。

昔はファンタジーばかり読んでましたが、最近はミステリに凝ってます。社会派じゃなくて新本格ものが多い。幻想怪奇、耽美なやつも好きです。中二なので。

 

何にしたって、本は楽しいですよね。存分に浸れる環境にある筆者はとても恵まれているなぁと思います。哲学書なんて、先人が全生涯かけて思考したものを気軽に書店で買えるんだからスゴイ。新作も読みたいし既読作品のおさらいもしたい。

 

お気づきかと思いますが、筆者かなりの内向人間です。ニンゲンコワイ。おっくうだし。
ともあれ、「教室のすみで本読んでる系の子」も存外いろんなことを考えているんだなぁ、ということを知っていてほしい。のかもしれない。

 

はじめまして

ブログを始めてみます。らぱんです。

 

 読書と考え事が好きなのですが、いかんせんアウトプットする場がない!

ということで、あたまのすみっこに陣取る好きだけど日常生活には出番のないあれこれを綴っていきたいと思います。

 

テーマは主に読んだ本、心理に関するちょっとした話、哲学っぽいなにか、など。…の予定。

 

続いたらいいなぁ。